道標についての活動

2018年から新しいテーマとして、龍ケ崎に遺る道標(みちしるべ)の調査を開始しました。

道標は、江戸時代に建立されたものが多いのですが、道路や宅地開発のため廃棄されたり位置が動かされたものが少なくありません。

私たちは、市内に残る道標を調査し、古地図とも照らし合わせながら、龍ケ崎と他の町を結ぶどのような街道があったのか、またそこから見えてくる当時の人々の暮らしや祈りについて調べてまとめていきたいと考えています。

* 調査に当たり、道標の写真を撮ったり等でご迷惑にならないように、注意致しますので、ご協力お願い申しあげます


(1)道標(みちしるべ)とはなんでしょう?

  道標は道が十字路やY字路など道が分かれるところに建てられ、通行人に行先を知らせるもので現在の道路案内標識に相当するものです。

道路案内標識は国土交通省令により主に道路管理者や都道府県公安員会が設置していますので様式は統一されていますが、徳川幕府の江戸時代も新政府の明治~昭和初期までは様式や建主はバラバラでした。

 

(2)今回の道標調査の目的とは

  私たちは数年かけて水戸街道について調査し、冊子を発行しています。その時発見した道標から江戸時代初期の水戸街道の道筋をたどることができました。

 今回は龍ケ崎市全域の江戸時代から昭和初期まで道標を探し、示す行先から人や物資の流れを調査することにしました。特に稲敷市の小野観音(逢善寺)詣やアバ様(大杉神社)参りの道筋です。また、併せて道標の建てられた目的や、時代による変遷の調査も行います。

 

3)どのようなことが道標には彫られているでしょうか?

道標によって異なりますが、多くのものは主目的(以下主銘文とします)、建立年月日、建立者・団体名、そして行先です。しかし建立年月日や建立者・団体名が彫られていないものもあります。また、行先だけというものもあります。

 




屋  外  活  動  報  告

道標の調査活動


道標名(場所)

 潮来街道 馴柴小学校 入口交差点の道標

特徴

 (1)屋根で道標が保護されている

 (2)道標2基が並んでいる

内容

 (1)写真右側の小さい道標は「左かしわ、水戸」

 「右りゅうがさき、なりた」「向、江戸」と読めます

 (2)写真左側の大きな道標は「若柴、女化」が読めます

  他の文字は風化等で残念ながら不明です

 

調査に当たり、屋根を取り出し塗装後、元に戻しました

 



 道標の修復活動